2009年1月14日~3月27日
『バロックとはまず鏡の空間への注視であり投身でありそこにおける「悲劇的」な脱出の試みである。脱出口を喪失した空虚な幻影としての世界のまなざし』
少し視点をずらすことによって見えてくる潜在的なものへのまなざしが、現実以上に現実を物語り、よりリアルに「見ること/見させられること」「可視/不可視」等々の問題を考える補助線となることがある。わたしにとって、この明滅する楕円の映像の内側で歪み、朧げな光のなかで、現れ、消えていく人、風景、「もの」たちは、私達が日常的に擦過する街角の光景のように、肉体は持たないが、可視的な、光によって構成された「誰でも良い誰か」として、視界に現れ、すれ違い、消えていく。「過ぎ去り」としての実在しか持たない、私達の有り様。
本展覧会は、それが現実であろうが儚き夢の様であろうが、それぞれ見るものの記憶への調和を試みること。それぞれの内密な記憶のなかに潜んでいる断片を、「見ること」の表面に浮かび上がらせること。記憶と忘却の中空に存在するものを描き出すこと。以上のようなことを念頭に、「オーバル」と名付けた楕円形の映像作品と数点の写真によって構成する展覧会です。/小泉伸司
映写技師でもある小泉伸司は映写窓に映し出される像に思惟する。人間は何を見ようとしているのか、そこに想起させるは無常観なのかもしれない。
崇高な域に人間が立ちはだかる時、我々は何をもってして語る事が出来ようか。
一つの虚像からニューロを隔てその信号は何処へ行き着き何をしでかすのか。
実体はリアリティで観る事しか出来ないが、単なるニューロの搬送でリアリティを掴む事は出来ない。あと一つ必要として残されたもの、一体それは何だ。/空蓮房
小泉伸司
1970年千葉県生まれ、東京在住