レオ・ルビンファイン ―アードベグ―

2010年12月25日~2011年2月25日


空蓮房の師でもあるルビンファイン氏は70年代後半からニューカラーの騎士としてニューヨークを拠点としながらも世界各都市を巡り、旅をする事象の中で自身を表出して来ました。「Map of the East」、「Wounded Cities」等の作品集には彼の写真作品と共に写真的文学性に満ちた文章も見る事が出来ます。 今回、空蓮房に於いて、氏のインタビュー作品(各都市で巡り会った人とのインタビューに基づいた写真と文章)の中から「アードベグ」という作品を発表します。

『「縁起、無常」今我、三世一身の身にありて正にこれ知るべしと。/空蓮房』


「アードベグ」について

私はマンハッタンに長く住んでいるものの、多くはそこから離れた街で写真を撮っていた。いつかはこの大都市を大きな課題として撮影しようと思い続けていたが、いつもためらっていた。多くの写真家がその闇や華やかさが突き抜ける様なニューヨークで素晴らしい作品を作り上げていた。ウォーカー・エバンス、ロバート・フランク、ゲリー・ウィノグランド、ダイアン・アーバスそして森山大道もその数ある中の内である。私は、それらから抜け出せられない何かを感じていた。

私はニューヨークで最初、私の学生として以来タニグチアキヨシと80年代初頭から交遊があった。そして今から15年くらい前、彼はニューヨークを慕う話をしていた。それは、とある青年がとある場所で覚える自由と可能性の葛藤の有り様でもあった。彼にとって街は単なる場所でなく生活する時間と共にあった。しばし、昔に返りたい様な感じでもあった。私は、彼の事が気になっていた。そして、90年代の終わり頃、ある冬の夜、彼の住む蔵前を訪ね、共にスコッチウィスキーを飲みながら、いつもより詩的な雰囲気な彼と過ごした時の会話を書いた。といっても、それをどうするか等とは何も考えていなかったが、その後何年もの間、何回も読み、時に公の場でも読んで聞かせてみた。

最近になってこの文章「アードベグ」の為にニューヨークを撮影する事にした。これは、ずっと気にしていた事である。「彼の眼」でこの街を撮ったらどうなるか。私の勝手な想像で彼の言った事や夢を見る事が出来ようか。それがどうだという事は別としてもとにかく撮影をしてみた。今回ここ空蓮房で(彼の場所で)初めて発表する事になった事は、リアリティの妙を得るが如く、永きに渡っての結果の一片である。/レオ・ルビンファイン