村越としや「FUKUSHIMA」

Photographs
2011年10月5日~ 2011年12月10日

「FUKUSHIMA」

3.11。それは、人類に懐疑と無力を見せつけた。特に福島原発災害によって翻弄される人類は「思う様にしたい」という無明故の近代物質文明の終焉を見る有様であり、我々は何処へ向かうのかの問いに盲目になってしまった。しかしあらためて問う。縁起無常の真理は変わったか。君は死んでいるか。
ここに福島県須賀川市出身の若きふるさと写真家「村越としや」の震災前後の作品を通して不可視な問題を提示する。(空蓮房)


「故郷には、今まで過ぎていった僕の時間があり、きっとこれから過ぎていく僕の時間ある。
それらが積み重なり、自身(写真)になってゆくと思っていた。
でも震災直後の原発事故で、故郷がなくなるかもしれないと思った。それは僕の過去と未来が無くなることで現在までも無くなって、自分自身が失われてしまうんじゃないかとゆう不安があった。
でも、そんなことをいってられないくらいに状況はよくないことが少しずつわかってきて、福島で生まれ育ったんだから、今の福島を撮る必要があると思った。そして写真を使って少しでも自分の愛すべき場所を助けたい、いつもの故郷に戻るように願うだけじゃなく、まだ何をしたらいいかなんてわからないけど少しでも行動したい。」(村越としや)