写真物に問う

ーPhotographic Objectー

2022年2月9日(水)〜 3月11日(金)

「写真物に問う」—Photographic Object— に寄せて

私たちは一枚の写真を見る時にすぐさま対象物(被写体)について語り出すことに慣れています。しかしながら、実際見ているものは紙に定着した粒子(ピクセル)の塊を見ているに過ぎないのです。この変換は妙技で私たちは各々の潜在的な記号で会話を始めます。ある意味では亡骸のようにその紙一枚は、静かに沈黙しています。

デジタル化する中、その支持体はモニターであったりと立体的なものへ変容していますが、「写し撮る」又は、光をBlack Boxに取り入れ出力する過程は、ニエプス以来大きな変化はありません。ただ「表現する」という混迷暗夜の呪いは他者によって認識され、さまよい始めます。

紙は紀元前二世紀の中国からといわれていますが、文字を軸に文明文化の伝搬に大きく影響しています。仏教の歴史の流れもそうでしょう。果てに写真が紙を支持体にしたことはごく自然だったでしょうが、親しんだケミカル写真がデジタル写真化してくると、3Dプリンターも然り彫刻のように立体化してくるのも広義において自然の流れかもしれません。

こうしてケミカル写真の末期の様相において物質としての懐古に惜しみながらも新たな踏み台を確認しているのかもしれません。とて、データ化された写真も今回の伊藤雅浩の“Human error”と題した作品のように、人の手によるデジタルの惰弱性もはらみつつ、人間とAIの共存に広域に議論する現在があります。このすり替わる時代にも常に人間の愚かさと知恵を持って大きな船に乗ってどこかへ向かっているように思えます。

「この世は思うようにならない苦しみである」と説いた釈迦に対してアドビの広告は「あなたの思うままの世界を!」と歌い、もがく私は、写真の本懐を考え続けている次第です。デジタルテクノロジーは俗に言うストレート写真を担保しうるのか、など。
テクノロジーの変化だけでは答えになっていないような気がします。皆様はいかが思われるでしょうか?写真の永遠性の幻想を考えます。

空蓮房


(作品作家)
* 伊藤雅浩
* 細倉真弓
* 山谷佑介
* 横田大輔
* 多和田有希
* Nerhol
* Heather Oelklaus
* Chris McCaw
* Christopher Colville
* Eugene Atget
* 新井卓
* 金村修
* 荒木経惟
* 川田喜久治
* 堀江美佳
* 空蓮房