北桂樹「虚式にて世界をつくろふ」

2023年11月8日(水)〜 12月8日(金)

「虚式にて世界をつくろふ」北桂樹

トーマス・ルフ|多和田有希|横田大輔|堤麻乃

写真は、光を不可逆的なプロセスで取り込むことを背景に、物の世界の知覚がもたらす過程を模倣し、現実の世界を二次元化、それを「真実性」とすると盲目的に信じられてきた。写真術のプロセスがアナログからデジタルへ、つまりフィルムに刻まれたニ次元の画像から離散的なピクセルの集合へと変化したとしても、その真実性は継続的に受け継がれてきた。

しかし、ヴィレム・フルッサーは、写真術の登場を言語の発明や印刷術の発明に次ぐ、われわれ人類にとっての重要な分岐点と捉え、世界を計算思考によって抽象化し、理解する文化的発展の第三段階としての抽象とした。写真による世界の抽象化は、計算思考によるゼロ次元の世界である。指し示されているのは外の世界ではなく、外の世界を変化させる概念、つまりゼロ次元(無の世界)である。

アーティストたちの中には、このことに気がつき、自身が扱うものが「虚式」であることを自覚している者もいる。かつて物語や伝説がそうであったように、現代はアルゴリズムやプログラムといった「虚式」によって、現実世界は変化させられ、新たに作り出される。

本展「虚式にて世界をつくろふ」にて提示するアーティストたちは、それぞれに、写真術による「虚式」で新しい世界を構築、もしくは世界に触れている。これらの作品は、写真によって表現されるものが、もはや現実に紐づいた実体のみでなく、写真が、現実や真実を直接的に示すものではなく、無から意味を投企すること、意味を付与しながら無に働きかけるようになっていることを明らかにしている。


チェコの思想家、ヴィレム・フルッサーはイメージ世界(映像)と現実世界(物)について、それらの区別が意味をなさず、実際に問題となるのは、無の世界から具象的世界を作り出すことだと自身の著書で先見的な指摘をしている。

映像と物の区別、フィックションと実在の区別は、ますます役に立たないものになっている。何よりも、「知覚された世界」の意味でのいわゆる「実在(リアリティ)」が、実は計算的構成(コンピューテーション)だという正体を顕しているのだから。「実在」に代えて、「具象」と「抽象」を区別しなければならない。投企とは、抽象的なもの(点にすぎないもの)からますます具象的なる世界が投企されるということなのだ 。

写真というメディアについて、これまで長らく「真実」との関わりの中で語られてきた。しかし、実際は近代以降の計算的思考の先に生まれたのが写真術であり、写真というメディアである。ニューメディア化が進んだ2010年代以降、写真はそのメディアが持っていた計算思考による特徴を際立たせ、現実世界を抽象から生み出すようになってきていると言える。本展「虚式にて世界をつくろふ」にて取り上げたアーティストたちは、三次元世界を二次元平面へと閉じ込めるこれまでの写真とはちがった方法を選択し、世界と写真というメディアを通して関わっている。

ドイツの写真家トーマス・ルフが、2012年に発表したphotogramsのシリーズは1920年代にモホイ=ナジらによって一般的となったカメラを用いない写真作品であるフォトグラムを現代のテクノロジーによって更新している。従来のフォトグラムは印画紙に直接物を置いて感光させたため、作品は再現不可能であった。しかし、ルフは環境そのものをデジタル空間に再現し、あらゆる要素を数値し、再現可能にしている。光を捉え、オブジェクトとして扱う堤麻乃は光をイメージ世界の奥行きの方向へと押し込んでいく、並置され前後関係を失った時間は、ノイズや境界といったところに別の形で姿を現わしてしまう。多和田有希は印画紙への「歪ませる」という物理的な介入によってイメージ内における星と星との距離を現実空間において近づけてみせる。イメージ世界の距離を圧縮することで、平面世界の点であった星空は現実世界において一時的な身体を獲得している。横田大輔はイメージ世界内に感じてしまっている「実存」を現代のテクノロジーによって創り出す。

点と点、無と無を掛け合わせるのが「虚式」である。それは抽象的なものから具象世界を生み出す術である。それは現代においてはプログラムであり、アルゴリズム、そして、人間の思考もそうであろう。

本展にて提示するアーティストたちは、それぞれに、写真術による「虚式」で新しい世界を構築、もしくは世界に触れている。テクノロジー進歩と私たち人間の思考が追いついた時、抽象化された世界は具象的なるものとして現実世界の一部となる。
※ ヴィレム・フルッサー『サブジェクトからプロジェクトへ』村上淳一訳、東京大学出版会 1996年、p.16

北桂樹


今回は北桂樹を招聘しキュレーション・論考に触れてみる展示です。/「無常だから楽しい」という仏教のバージョンアップの為に。

空蓮房


北 桂樹
現代写真研究者/アーティスト
2017年、京都造形芸術大学通信教育学部・写真コースを卒業。2023年、京都芸術大学大学院・芸術研究科芸術専攻修了、博士(学術)。京都造形芸術大学在学時より制作活動を開始。アナログプロセスからプログラミングによる新たな写真術の開発までを射程に、写真というメディアを「エネルギーの可視化」の表現ツールとしてきた。国内外の展覧会にて作品を提示。写真というメディアのコンテンポラリーアート領域における表現可能性に対する関心から京都芸術大学大学院にて「POST/PHOTOGRAPHY」をテーマに研究。写真の拡張をウイルス的なものとして捉え、「写真変異株」という概念にて論じ、制作を並走させる。