2007年12月5日~2008年2月15日
これらの作品は、私の家にあった昭和25年頃から40年頃までに撮影された家族写真を自家製のフィルムを使って複写したものです。 引っ越しが決まり、箪笥の引き出しを整理していると、何冊もの古いアルバムが出てきました。 それは、主に亡き父が撮影した、若き日の母であり、幼い息子達の写真でした。 はじめ、其処にあった私の知らない(私が生まれる前の)母と父や兄達の姿は、とても新鮮で、また切なくもありました。 しかし、何度もアルバムを見返すうち其処に写っているのは、本当に私の知っている母や父なのか、幼い自分の姿は、自分なのか兄なのか、それとも他人なのか、私は酷く混乱しはじめました。アルバムから自身の記憶が掘り起こされるのでなく、まるで時間と空間の迷路に突き落とされた様でした。 そして、自家製フィルムに焼き付けられたそれらの姿は、写真という艶かしい薄い皮膜の内に、のめり込んで酔いしれていくような不思議な虚像として確かに浮かび上がって来ました。(ほり けいし)
個の執着の突き詰めるところに個の解体が待っている。修行僧が佛に出会ったがの如く。写真を虚界の霊像と するならばそれにしがみつくリアリティの行手に何が待っていよう。過去が無いはずなのに何故に望郷するの か。自己の個体は霊体に他ならない。瞬間すら掴みきれずにもがく我々は何を求めんやと。己体と思うがこそ 解体されるべきものであり、ならばやっとの思いでホトケに出会えよう。 (空蓮房)
ほり けいし(Keishi Hori)
1961年生まれ
東京造形大学美術学科卒業
Keishi Horiホームページ